自己保健義務とは、自分の健康を自力で管理すべき義務のこと。
労働問題の場面では「労働者が会社に負う義務」の1つです。
会社が安全配慮義務を負う一方、労働者は自己保健義務を負います。
健康診断を受診したり、適度に睡眠や休息をとり、自身の健康を保たねばなりません。
自己保健義務に違反があると、結果として健康被害が生じても会社の責任を追及できません。
むしろ、労働者の健康管理の不足が、問題の原因だと反論されてしまいます。
心身の健康を崩しそうなら、早い段階で医師の診断を受け、健康を守る努力を要します。
(慰謝料請求で有利になるためにはもちろん、自分のためにも大切なことです)
ただ、どれほど気を使えど、違法な労働環境のなかでは労働者は不利益を受けてしまいます。
自己保健義務を尽くしてもなお生じる被害は、会社の安全配慮義務違反のせいといえるのです。
会社に責任があるケースでは、慰謝料などの損害賠償を請求し、是正すべきです。
今回は、労働者の自己保健義務について、労働問題に強い弁護士が解説します。
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自己保健義務とは

まず、自己保健義務の意味と、その根拠について解説します。
自己保健義務の意味
自己保健義務とは、労働者が、自身の健康を主体的に管理すべき義務のことです。
その意味から「健康保持義務」「健康配慮義務」「自己保全義務」とも呼びます。
自己保健義務は、労働契約を交わすことによって労働者が当然に負う義務です。
例えば、健康診断で異常を指摘されたら、適切な治療を受ける義務が生じます。
この意味で、自己保健義務の範囲は、業務時間中に限るものではありません。
むしろ、日頃の睡眠や食生活、生活習慣など、プライベートな面への配慮も当然に含みます。
しばしば、会社の負う安全配慮義務と比較して説明されます。
(参考:自己保健義務と安全配慮義務との違い)
自己保健義務を定める法律
自己保健義務について、労働安全衛生法26条に定めがあります。
労働安全衛生法は、職場における労働者の安全と衛生を守る法律です。
労働安全衛生法26条
労働者は、事業者が第二十条から第二十五条まで及び前条第一項の規定に基づき講ずる措置に応じて、必要な事項を守らなければならない。
労働安全衛生法(e-Gov法令検索)
この条文の通り、労働安全衛生法20条から25条は「第四章 労働者の危険又は健康障害を防止するための措置」のために企業側が講ずべき措置を定め、26条は、その際に労働者も必要な事項を守るべきことを定めます。
会社だけが安全と衛生に配慮しようとも、労働者の協力なしには被害を避けられないからです。
また、自己保健義務を就業規則に定める企業もあります。
就業規則における自己保健義務の条項例は、次の通りです。
第XX条(自己保健義務)
1. 社員は、適切な労務提供を行う義務があることを自覚し、勤務に支障を来さぬよう、勤務内外を問わず自らの健康の維持・増進に努めるものとする。
2. 社員は健康上必要な事項について医師及び産業保健スタッフの指示・指導等を受けた場合には、これに従わなければならない。
3. 社員は、自らの健康状態に異常がある場合は、速やかに会社に申し出るとともに、必要に応じて医師の診察を受けて、その回復に努めなければならない。
就業規則は、社内に統一的に適用されるルールであり、その記載は、労働契約の具体的な内容となります。
就業規則上の義務への違反は、「懲戒処分や解雇の理由となる」と定められるのが通常であり、違反しないよう十分注意しなければなりません。
なお、就業規則への違反があるからとて、ただちに解雇できるわけではありません。
客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、解雇権濫用法理によって、違法な不当解雇として無効になります(労働契約法16条)。
不当解雇に強い弁護士への相談は、次に解説します。

自己保健義務と安全配慮義務との違い

自己保健義務は、安全配慮義務と同じく、労働者の生命、健康に危険が迫った場面で問題になります。
いずれの義務も「社員の健康と安全を守る」という目的は共通。
しかし、自己保健義務と安全配慮義務は「内容」が異なるので、区別せねばなりません。
安全配慮義務は、労働者の生命や身体の安全、健康を確保する会社の義務を意味します。
安全配慮義務の法律上の根拠は、労働契約法5条。
自己保健義務との大きな違いは、その義務の主体です。
安全配慮義務は会社が労働者に負うのに対し、自己保健義務は労働者が負うからです。
違いをまとめた次の表も参考にしてください。
安全配慮義務 | 自己保健義務 | |
---|---|---|
義務の主体 | 会社(使用者) | 労働者(被用者) |
義務の内容 | 労働者の生命や身体の安全、健康を確保する | 労働者自身の健康を主体的に管理する |
義務の根拠 | 労働契約法5条 | 労働安全衛生法26条 |
2つの義務は異なるものですが、安全配慮義務違反の損害賠償請求の判断において、自己保健義務への違反が労働者側の過失として評価される点で、互いに影響し合います。
(参考:損害賠償請求で過失相殺される)
安全配慮義務違反について次に詳しく解説します。

自己保健義務を守るための具体的な行動の例

次に、自己保健義務を守るための具体的な行動の例を解説します。
労働者は、会社の責任を追及する際、自己保健義務への違反がないよう注意すべき。
会社の責任を追及しているのに、「むしろ労働者の管理不足だ」といった思わぬ反論を食らわぬよう、自分が正しい行動をしていなければなりません。
そうすると、義務違反とならないためにはどんな行動をとるべきか、理解する必要があります。
労働安全衛生法で明示された健康診断の受診義務、私生活上の健康管理義務には、特に注意してください。
健康診断の受診義務
1つ目が、健康診断の受診義務(労働安全衛生法66条5項)。
これは会社が実施する健康診断を受診すべき労働者の義務です。
例えば、入社時や年1回実施される「定期健康診断」が典型です。
その他に、危険の大きい特定業務に従事する社員には特別な健康診断が義務付けられます。
なお、会社が指定した医師を受診する義務まではありません。
会社と結託した悪質な医師により、不当な結果をねつ造される例もあります。
このとき、代わりに自分の信頼する医師に受診し、その結果の証明書を提出すれば、自己保健義務の違反とはなりません(労働安全衛生法66条5項ただし書)。
つまり、労働者には受診義務があるものの、どの医師に受診するかは自由なのです。
自覚症状の申告義務
労働者は、自覚症状があるときは会社に申告する義務があります。
体調不良を隠したまま働いては、会社も配慮できなくなってしまいます。
ただし、あまりに小さな体調不良まで伝えると、低く評価されたり、重要な仕事から外されたりなど、不利益を被るおそれもあり不安でしょうから、会社に申告する内容は、業務に支障の生じるおそれがあるものに限るべきです。
私生活上の健康管理義務
3つ目が、私生活上の健康管理義務。
法律上の根拠として、保健指導後の健康管理義務(労働安全衛生法66条の7第2項)と健康の保持増進義務(労働安全衛生法69条2項)が定められています。
労働者は、安全配慮義務を尽くすために会社が講じた措置を利用して、自身の健康を保持増進するよう努めなければなりません。
単に健康を維持するだけでなく、より健康的な体に近づくよう努力することも含みます。
つまり、保健指導に従うだけでなく、自ら積極的に健康のために努める必要があります。
例えば、適度な睡眠、早寝早起き、規則正しい生活習慣などが努力の一例です。
また、有給休暇や休職など、法律や就業規則で労働者に認められた権利を駆使し、働きすぎにならないようにする必要があります。
健康管理措置への協力義務
会社側が健康管理措置を実施するとき、労働者はこれに協力する義務があります。
つまり、会社が健康維持、増進に配慮するのに、これに従わず健康を損なえば、自己保健義務違反。
ただし、「残業を抑制せよ」と言いながらノルマが厳しすぎるケースなど、企業の健康管理措置がうまく機能していないなら、そもそも安全配慮義務が十分果たされていないといえます。
療養専念義務
万が一、健康を損なった場合には、労働者は療養に専念すべき義務を負います。
会社を欠勤したり、休職を命じられたりしたら、病気の悪化を防ぐ必要があります。
仕事がなくなったのをいいことに遊んだり、評価が低下するのが怖くて無理に仕事をしてしまったりしては、自己保健義務違反となるおそれがあります。
なお、プライベートの過ごし方を強要することは許されず、また、有給休暇は理由を問わず自由に取得できる点には注意が必要です。
労働問題に強い弁護士の選び方は、次の解説をご覧ください。

自己保健義務に違反したらどうなる?

自己保健義務に違反した場合に、労働者は不利益を被るおそれがあります。
そこで、義務違反をした労働者のデメリットを、裁判例を挙げて解説します。
(なお、自己保健義務に違反しても、刑事罰などの罰則はありません)
懲戒処分を下される
自己保健義務に違反すると、懲戒処分を下されるおそれがあります。
懲戒処分は、企業秩序を維持するための制裁を意味します。
自己保健義務というルールを破る社員に制裁を下してでも、会社全体の秩序を守るべきケースもあります。
とはいえ、ルール違反の程度と制裁はバランスがとれている必要があります。
そのため、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、権利濫用として懲戒は無効になります(労働契約法15条)。
自己保健義務違反に対する懲戒処分を適法と認めた次の裁判例が参考になります。
X線検査の受診を拒否した学校教諭を、減給処分とした事案。
教諭は、他の保健所の検査で異常なしとされた結果を報告したが、X線検査をするのが相当でない健康状態にあったなどの事情が窺われないことを加味し、労働安全衛生法66条5項ただし書の要件を満たすものとはいえないと判断され、減給処分は適法であると判断された。
指定病院での精密検診を拒否したのを理由に、戒告処分とされた事案。
裁判所は、受診義務を定める健康管理規程に合理性があること、使用者が病院を指定したとしても、労働者が選択した医師による診療は制限されず、医師選択の自由の問題は生じないことを理由に、戒告処分は適法であると判断した。
懲戒解雇のデメリットと対処法についてもご参照ください。
損害賠償請求で過失相殺される
自己保健義務に違反すると、安全配慮義務違反の損害賠償を会社に請求する局面で、「過失相殺」されるおそれがあります。
安全配慮義務違反によって健康を崩せば、その責任は会社にあるのが原則。
しかし、同時に自己保健義務にも違反すれば「労働者のせいでもある」ことになってしまいます。
「過失相殺」とは、労働者側に過失がある分だけ、請求できる損害を減殺するという意味です。
自己保健義務違反を理由に、過失相殺を認めた裁判例に次のものがあります。
IT企業の社員が脳出血で死亡した事案で、相続人らの安全配慮義務違反を理由とした損害賠償請求に対し、裁判所は次の事情から、労働者が自身の健康保持に配慮していないとし、5割の過失相殺を認めた。
- 健康診断結果の通知を受けて、自らが高血圧で治療が必要な状態であると知っていたこと
- 会社から精密検査を受けるよう指示されていたのに、医師の治療すら受けなかったこと
飲食店の店長がくも膜下出血で死亡した事案で、安全配慮義務違反による損害賠償請求に対し、裁判所は次の事情から、自己保健義務への違反を理由に3割の過失相殺を認めた。
- 健康診断結果の通知を受けて、自らが高血圧で治療が必要な状態であると知っていたこと
- 専務から病院の受診を勧められたが、通院や服薬を継続しなかったこと
- 病院で薬を処方されたのに、次の健康診断で服薬不十分であると指摘されたこと
- 服薬によってある程度降圧効果を期待できること
- 通院する程度の時間の確保までが困難であったとは考え難いこと
労災認定を受けられない
負傷、疾病、死亡が業務に起因するとき、労災の認定を受けることができます。
労災認定が下されると、労災保険給付を受給できるほか、療養期間中の解雇が禁止されるなど、労働者には多くのメリットがあります。
しかし、労災認定のためには、業務起因性を要します。
業務とは別に原因があるときには、労災認定は受けられません。
そして、労働者の自己保健義務違反があると、業務以外に、私生活にも原因があると評価される危険があります。
労災の条件と手続きは、次の解説をご覧ください。

自己保健義務を守るために労働者が理解すべき注意点

最後に、自己保健義務を守るために労働者が理解すべき注意点を解説します。
なお、自己保健義務を果たしているか不安なら、事前に弁護士に相談するのが有益です。
まずは休むことを優先する
健康を崩し、仕事ができなくなったら、まずは休むことを優先しましょう。
就業規則を確認し、利用できる休職制度、休暇制度がないかご確認ください。
休職中に回復できれば、期間満了後に復職できます。
また、休職中は、健康保険の傷病手当金を受給できるので、経済的負担も軽減できます。
会社が休職を不当に拒否するケースでは、診断書を提出して正当性を示してください。
病気やケガの原因が業務に起因するなら、労災認定を受けられます。
労災認定を得れば、療養期間中の解雇は禁止されるため、治療に専念できます。
休職中の給料や手当について、次の解説をご覧ください。
安全配慮義務違反の責任を追及する
違反のデメリットは大きく、労働者は自己保健義務はしっかりと果たさねばなりません。
とはいえ、いくら健康に気をつけても、労働環境に問題があれば被害は避けられないもの。
このような場合、違法な労働問題を生じさせた会社に責任があるのは当然です
その被害が仕事のせいなら、会社の責任を追及すべきです。
なお、労災が認められても、それですべての損害がカバーできるわけではありません。
弁護士に相談し、請求額を計算してもらうことが、損のない責任追及につながります。
過労死の相談窓口は、次に解説します。
メンタルヘルスと自己保健義務
自己保健義務のうち、身体的な不調であれば自分でもよく気付くことができます。
しかし、メンタルヘルス、すなわち、精神的な不調は、自身で気付けない場合もあります。
メンタルヘルスに関わる場面の自己保健義務は、労働者だけでは限界のあることもあります。
少しでも違和感やストレスを感じたら、速やかに医師の診断を受けるのがお勧めです。
パワハラや職場いじめがあるなど、職場環境が劣悪だと、うつ病や適応障害といった精神疾患にり患してしまう労働者は思いのほか多く、苦しんでいるのはあなただけではありません。
うつ病で解雇されたときの対処法について次に解説しています。

まとめ

今回は、労働者の負うべき自己保健義務について、基礎知識を解説しました。
自己保健義務は、労働者自身が健康を保持する義務です。
会社が社員の健康を守るのも、社員自身の協力あってのことです。
どれほど劣悪な労働環境でも、会社の責任を追及するにはまず自身の努力を尽くすべき。
健康診断を受け、医師の意見に従うなど、健康保持に力をそそいでください。
自己保健義務に違反していると、「労働者側の過失」と評価されかねません。
会社の安全配慮義務違反により生じた被害も、すべての責任を会社に請求できない危険があります。
自己保健義務の内容をよく理解し、守ることで、いざ労災に遭ったとき不利益を被らないようにしましょう。
万が一、業務によって心身の健康を害したら、ぜひ一度弁護士に相談ください。
【労災申請と労災認定】
【労災と休職】
【過労死】
【さまざまなケースの労災】
【労災の責任】