残業代請求で負けるケースにはある程度の「型」があり、典型的な失敗例を知れば、敗訴リスクを格段に下げることができます。負けてしまった実例を知り、対策を講じましょう。
未払いの期間が長く、高額な請求ほど会社も本気で対抗してきますが、残業代請求に負けると、払った弁護士費用やかけた時間が無駄になります。残業代請求は、ハラスメントの慰謝料など他の金銭請求に比べて勝率の高い紛争ですが、必ず勝てる保障はなく、油断すると負けるリスクがあります。
今回は、残業代請求で負けるケースと、敗訴しないためのポイントについて、労働問題に強い弁護士が解説します。残業代請求で敗訴しないためのポイントで重要なのは、証拠を準備し、会社の反論に対して有効な再反論をすることです。
残業代請求は負けるケースもある
残業代請求は労働者の正当な権利ではあるものの、必ず勝てるとは限りません。そもそも残業代請求で負けるケースとはどのような場合なのか、失敗を避けるためのポイントと共に説明します。
「残業代請求で負ける」ということの意味
残業代請求において「負ける」というのは、請求した残業代を受け取ることができない結果になるケースが典型例ですが、これに限りません。
- 労働者の残業代請求に法的な根拠がないとされた場合
残業代の計算方法に基づいて労働基準法に従った請求をする必要があります。 - 証拠が不足して残業そのものが認められなかった場合
実際に残業したことの証明は、タイムカードその他の労働時間の記録を用いて労働者側で立証する必要があります。 - 会社の反論が認められてしまった場合
企業が残業を短縮したり、残業代を払わなくてよいよう対処していたりといった対策を講じていると、それが法的に有効な反論となる場合には労働者の請求は認められません。 - 時効が成立していた場合
残業代の時効は3年であり、この期間を経過した後では請求が認められません。
※ より詳しくは「残業代請求で負けるケースの具体例」と「残業代請求で負けるケースの分析と対策」にて後述します。
労働者の請求権に法的根拠がなかったり、会社の反論が認められてしまったりした結果、裁判所が請求を認めてくれないケースは「負けた」といって当然でしょう。残業代は、法律に基づいて請求する必要があるため、法的根拠が欠如していると回収に失敗するおそれがあります。
証拠が十分になかったり時効が成立してしまっていたりする場合も、思うように残業代が認められないことがあります。重要なのは、費用や時間がかかりすぎると、仮に残業代が一定額もらえてもなお、全体を通じて満足いく結果とならず、心理的に「負けたも同然だ」と感じてしまう点です。
失敗を避けるための基本的なポイント
残業代請求で負ける理由は、前章の通り多岐にわたります。負ける可能性をゼロにはできませんが、そのリスクを最小限に抑えることはできます。
失敗を避けるための基本的なポイントは、自分の中で「満足だ(少なくとも「負ではない」)」と思える目標を明確に設定し、その結果が実現可能かどうかを、請求を起こす前に専門家に確認することです。残業代請求を得意とする弁護士に相談すれば、残業代請求の勝率を聞くと共に、結果を達成するのに必要な事前準備のアドバイスを受け、敗訴しないための対策を実践できます。
「残業代請求に強い弁護士に無料相談する方法」の解説
残業代請求で負けるケースの具体例
次に、残業代請求で負けるケースの具体例について解説します。
残業の証拠が不十分な場合
残業代請求で負ける具体例の1つ目は、証拠が不十分な場合です。労働者が何ひとつ嘘をついていなくても、未払い残業代請求の証拠が不十分だと、裁判所に有利な事実を認定してもらえず、請求棄却や一部認容といった満足のいかない判決が下されるおそれがあります。
民事訴訟では、犯罪を処罰する刑事事件のように厳密な証拠が用意できなくても、口頭弁論の全趣旨をしん酌することも許されており(自由心証主義・民事訴訟法247条)、完璧な証拠がないと救済されないわけではありません。とはいえ、証拠による事実の基礎づけは裁判の基本であり、残業があったことの証明が不足すると認められる請求額は低くなってしまいます。
「残業の証拠」の解説
会社の残業禁止命令・指示を無視して残業した場合
残業代請求で負ける具体例の2つ目が、禁止されているのに無視して残業した場合です。残業と認められるには、会社の指示にしたがって働いた場合でなければなりません。
残業するようにという明示の命令だけでなく、黙認したことも「暗に指示した」と評価できる場合はありますが、残業を禁じる命令があったのに無視して仕事をしても、残業代はもらえません。したがって、残業許可制なのに許可を得ずこっそり残業したり、定時で帰るよう指示されたのに居残って残業したりといったケース、生活のために無駄に居残る「生活残業」などは、残業代請求で負けるおそれが十分にあります。
なお、言葉では禁止しても、残業しないと終わらないような業務量やノルマ、目標を課されているケースは、事実上、残業の命令がされていたと評価される場合もあるのであきらめてはいけません。
「サービス残業の黙認の違法性」「残業禁止命令の違法性」の解説
残業代請求の時効(3年)が成立した場合
残業代請求で負ける具体例の3つ目が、残業代の時効が成立した場合です。残業代請求権はいつまでも行使できるわけではなく、3年の消滅時効があります。例えば5年分の残業代を請求しても会社が時効援用すれば、そのうち3年分しか認められず、満額回収に失敗してしまい不満が残るでしょう。
「残業代請求の時効」の解説
固定残業代により既に支払い済みである場合
残業代請求で負ける具体例の4つ目は、固定残業代やみなし残業によって支払い済みのケースです。
固定残業代やみなし残業は、あらかじめ定額で支払われる残業代のことです。労働基準法は、一定額以上の残業代を払うよう義務付けているものの、支払い方法に定めはなく、事前に一定額を支払うことも許されています。既に払ってあるわけですから、残業代請求しても認められることはない結果「負ける」というわけです。
ただし、固定残業代やみなし残業が有効となるには、残業代として支払われている額が通常の給与と明確に区分できる必要があります。例えば「基本給25万円、固定残業代3万円(◯時間分)」とするのが正しく、「基本給25万円(固定残業代を含む)」という記載では明確に区分されておらず残業代としていくら払われたかが不明瞭なので、争えば無効とされる可能性が高いです。なお、有効な定めの場合も、あらかじめ支払われた時間を超えて残業すれば差額を請求できます。
「みなし残業の違法性」「固定残業代の計算方法」の解説
労働基準法上の管理監督者であると判断される場合
残業代請求で負ける具体例の5つ目は、労働基準法41条2号の管理監督者に該当する場合です。
この場合、労働基準法の「労働時間、休憩及び休日に関する規定」が適用除外となり、深夜労働の割増賃金を除いて残業代を払う義務がなくなります。ただし、管理監督者と認められるには、経営者と一体的立場にあり、重要な職務と権限、労働時間の裁量や、地位にふさわしい待遇といった条件を満たす必要があります。
「管理職と管理監督者の違い」「名ばかり管理職」の解説
残業代請求で負けるケースの分析と対策
残業代請求で負けるケースを分析して対策を練ることが、敗訴を避けるために重要です。残念ながら負けたと考えるべき裁判例を紹介し、敗訴を回避するのに必要であった対策を解説します。
タイムカードの打刻が始業時刻と認められなかったケース
神戸地裁姫路支部平成28年9月29日判決は、タイムカードの打刻を始業時刻とは認めず、当初の請求額411万円のうち、約50万円しか認めませんでした。本裁判例は、業務日誌が提出されず、始業よりも相当早い時間に出勤すべき必要性が判然としない点を指摘しています。
タイムカードは労働者に有利な証拠の1つですが、それだけで当然に残業時間と認められとは限りません。打刻された時間に揮命令下に置かれていることを、他の証拠で補わなければ負けるリスクがあるケースもあります。タイムカードを入手して満足するのではなく、他にも様々な証拠を集め、業務の必要性を主張すべきでした。
「タイムカードを開示請求する方法」の解説
残業時間が特定できなかったケース
大阪高裁平成19年11月30日判決は、業務に従事した時間とそうでない時間を特定できないとして、残業代請求権を否定しました。敗因は、勤務時間中に競業他社の営業活動を行っていたため、業務日誌と手書きのタイムカードのみでは仕事をしていることの立証が困難であった点にあります。
通常なら、タイムカードは残業時間の証拠として役立ちますが、本件のように「会社にいたからといって業務をしているとは限らない」という場合には、タイムカードしか証拠がないと、残業代請求に負けるおそれがあります。
「労働時間の定義」の解説
業務手当の支払いが固定残業代として有効とされたケース
最高裁平成30年7月19日判決(日本ケミカル事件)は、原審で認められた未払いの残業代に関する判断を破棄し、固定残業代として既に支払い済みであると判断しました。賃金体系において業務手当が時間外労働等の対価として支払われるものと位置付けられていること、実際の1ヶ月あたりの時間外労働に対する割増賃金に相当する額と近いことといった点が、理由として挙げられています。
基本給の他に手当が支払われている方は、残業代請求の前に、その手当の趣旨を確認し、不明な場合には会社に質問するなどして、意図せず敗訴するリスクを避ける必要があります。
管理監督者性が認められたケース
京都地裁平成24年4月17日判決は、エリアディレクターの地位にあった労働者が管理監督者に該当するとして、残業代請求が棄却された事案です。
予算案やイベント企画の立案に裁量を有していたこと、エリア内の従業員の労務管理や人事考課などの起案を任されていたこと、月額約28万円の副店長と比べて、月額約53万円と大幅に高い待遇を得ていたことなどが考慮されました。
管理監督者性は実務上認められづらいものの、その地位、権限、待遇などから認められるケースあります。通常の労働者とは異なる働き方をしているなら、管理監督者性を否定する要素をできるだけ主張し、それを裏付ける証拠を用意する必要があります。
消滅時効の援用に対する再抗弁が認められなかったケース
大阪地裁平成17年3月11日判決(互光建物管理事件)は、会社による消滅時効の援用が認められ、残業代請求に理由がないと判断された事案です。
労働者は、訴訟前の会社の対応からして時効援用は信義則違反ないし権利濫用であると主張して争いました。しかし、会社が労働者からの残業に関する質問を放置したとしても、それをもって残業代請求権の行使を妨害したとはいえないと判断され、労働者が負けてしまいました。
「裁判で勝つ方法」の解説
残業代請求に負けたときに備えて知っておくべきこと
万が一残業代請求に負けてしまっても、リスクを知り、最小限に抑えるためのポイントを理解しておくのが重要です。
負けると弁護士費用が無駄になる
残業代請求で負けると、弁護士費用が無駄になります。残業代請求の弁護士費用は、着手金と報酬金という形で支払います。請求金額にもよりますが、最初に払う着手金は請求額の8%が相場です。そのため、例えば300万円の残業代請求をして負けると、24万円(300万円×8%)の損が生じます。
少しでも負けたときの負担を減らすには、着手金無料・成功報酬制の弁護士に任せるべきです。残業代トラブルでは、回収の見込みが高い場合に着手金を無料とする事務所が増えています。着手金が無料なら仮に敗訴しても費用は生じません。
「残業代請求を着手金無料で依頼する方法」の解説
逆に損害賠償を請求されることはない
請求したことや敗訴を理由に、逆に訴えられるなどの報復を恐れる人もいます。しかし、たとえ負けたとしても、会社からの損害賠償請求が認められる可能性は低く、過度に心配する必要はありません。ブラック企業は「損害賠償」という言葉を脅しに使いますが、屈する必要はありません。
もし、会社が損害賠償請求するなら、不法行為(民法709条)の要件を満たす必要がありますが、残業代請求は正当な権利なので、故意や過失、権利の侵害、損害の発生や因果関係といった点を満たすことはないでしょう。
「会社から損害賠償請求されたときの対応」の解説
転職先に敗訴の事実を知られることはない
残業代請求に負けるとしても、請求したことや敗訴の事実が転職活動で不利になることはありません。従業員とのトラブルを抱えていたことは、たとえ労働者が負けて請求が認められなくても会社のイメージダウンに繋がるので、会社としても公にはしないでしょう。
また、労働者の情報を同意なく第三者に提供するのは個人情報保護法に違反するおそれがあります。本人の社会的信用が下がるような事実を転職先に伝えられた場合は責任追及が可能です。
「会社を訴えるリスク」の解説
残業代請求で敗訴しないためのポイント
最後に、残業代請求で敗訴しないために重要な4つのポイントを解説します。
正確な労働時間を記録する
敗訴を回避するポイントの1つ目は、証拠を残すことです。
労働時間の詳細な記録を残すことは、残業代請求において非常に重要です。タイムカードや出勤簿、業務日報、電子メールの送受信記録など、できるだけ多くの証拠を集めることで、証拠の不十分を理由に負けるリスクを減らせます。
これらの証拠は、請求したい期間の全体分だけ集められるのが理想です。ただ、例えば「直近1ヶ月分しか入手できなかった」というように証拠が不足するケースでも、複数の証拠を照合することで労働時間を証明できるケースもあります。退職済みで証拠収集が難しい場合、弁護士名義の内容証明を送付してタイムカードの開示請求を行います。
「どれだけ集めれば十分なのか不安だ」という相談は多く寄せられますが、残業代の証拠集めでは「これがあれば完璧」といえる資料はありません。「できるだけ多く集める」ことを基本方針とし、手元にある資料が証拠になるか不安なときは、弁護士の無料相談を活用するのがよいでしょう。
「労働問題を弁護士に無料相談する方法」の解説
交渉の間に会社側の主張を把握する
敗訴を回避するポイントの2つ目は、交渉の過程で会社の主張を把握することです。交渉段階では弁護士に依頼しない会社もあり、その言い分には法的に無意味な主張や、誤った考えが含まれることも多々あります。まずは、会社の言い分から意味のある主張を整理し、有効な反論をするようにしてください。有効な反論を知るには、次の残業代請求の裁判例の解説もご参照ください。
「残業代請求の裁判例」の解説
裁判以外の解決策を知っておく
敗訴を回避するポイントの3つ目は、裁判以外の解決策を知ることです。
残業代の請求は、訴訟による解決までに相当な期間がかかることもしばしばです。迅速な解決を望む場合は、交渉で妥協したり、労働審判で解決したりといったその他の方法も含め、ベストな解決策を選ぶ必要があります。労働審判は、簡易、迅速かつ柔軟に、残業代未払いの問題を解決できる可能性があります。通常訴訟よりも話し合いが重視され、通常3回までの期日で終了します。少額の残業代なら、請求額が60万円以下のときは少額訴訟を活用すれば、原則1回の期日で判決が下されます。
なお、訴訟前に、早期の和解で決着させようとするにしても、残業代請求の和解金の相場を理解して、安すぎる提案は拒否すべきです。
「労働審判による残業代請求」「少額訴訟による残業代請求」の解説
残業代請求に強い弁護士を選ぶ
敗訴を回避するポイントの4つ目は、残業代請求に強い弁護士を選ぶことです。残業代を請求する際は、法律を理解し、会社の反論に対して的確な主張を組み立てる必要があります。このやり方は労働者一人では限界があり、弁護士のサポートを受けるべきです。本人訴訟には費用を抑えられるメリットがある反面、残業代請求で負けるリスクが高まるという大きなデメリットがあります。
「労働問題に強い弁護士の選び方」の解説
まとめ
今回は、残業代で負けるケースと敗訴しないためのポイントを解説しました。
労働者に有利な残業代請求も、注意しなければ負けるリスクがあります。何をもって「負け」と定義するかはその人の目標によって異なりますが、少なくとも、払った弁護士費用以上に残業代を回収できなければ「負けた」と考えてよいでしょう。
負けないようにする努力として、残業の証拠を集め、会社の反論を理解するのが大切です。交渉で解決できない場合にも、労働審判や訴訟といった裁判手続きを利用しましょう。途中であきらめて泣き寝入りしては自ら負けを選ぶも同然です。
残業代の請求は、労働者に当然認められる権利の行使です。証拠の散逸や時効消滅の危険もあるので、弁護士への相談は早めにしてください。
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