今回は、退職後に前職の顧客と取引するときの注意点を、労働問題に強い弁護士が解説します。
会社を辞めた後で、前職の顧客と取引する流れになることがあります。しかし、うまくやらないと前職の会社から「顧客の引き抜きだ」「前職の顧客に営業するな」などと言われて、賠償請求されてしまう危険もあります。
転職時に客を持っていったら、前の会社から訴えられた
起業は不安。客をもって独立するのは違法なのだろうか
はじめは会社を通じた出会いでも、所詮は人と人の関係。担当者として付き合ううちに、いずれは個人的な関係に発展することは少なくありません。あえてお願いせずとも、前職の顧客から「転職先でも取引してほしい」「独立後もお願いしたい」と依頼される方もいます。まさにあなたの人間性が評価されたケースといえるでしょう。
しかし、前職の会社としては、広告費や手間をかけて築いた人間関係を、転職によって奪われたり、客をもって独立されたりすると、損した気持ちになるのは当然。このようなケースでは、前職の会社から、損害賠償請求されるという労働問題に発展します。
- 前職の元顧客と取引することは、退職後であれば違法ではないのが原則
- 競業避止義務の特約違反、不正競争防止法違反となる営業行為は許されない
- 競業避止義務を合意しても、不当な制約は違法であり、元顧客とも取引できる
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元顧客と取引しない「競業避止義務」を負っているか
営業職など、顧客との人間関係が密になると、転職、独立後も声がかかることがあります。美容師や士業、IFAなど、個人のスキルが重視される職種ほど、その傾向は顕著です。そのようなタイミングは、これまでの苦労が報われた気がして特に嬉しいでしょうが、甘えて取引してよいかどうかは、よく検討しなければなりません。
退職後に「前職の元顧客と取引してよいか」を知るには「競業避止義務」の理解が欠かせません。競業避止義務とは、その名のとおり「競業」、つまりライバル企業で業務したり同業で独立起業したりしてはならない義務です。
会社に勤務している間、労働者は、競業避止義務を負います。一方、退職後は、憲法の「職業選択の自由」ないし「営業の自由」が保障され、競業は自由なのが原則です。そのため、退職後も特別に競業避止義務を負わせるような以下の決まりがないかどうか、確認してください。競業避止義務を負っているならば、元顧客との取引にはリスクがあると考えるべきです。
入社時に「競業避止義務」を負ったか
競業避止義務の特約を、「誓約書」などの形で締結しているとすれば、入社時の締結書類のなかにそんな書類が含まれているかもしれません。入社時は、労使関係のスタートであり、会社が労働者に負わせたい義務を定めていることが多いからです。
そこで、「元顧客と取引してよいか」迷ったとき、まず、入社時や在職中に「競業避止義務」の特約を内容とした「誓約書」などを結んでいないか確認してください。
就業規則で「競業避止義務」を負ったか
10人以上の社員を使用する事業場では、就業規則を作成し、労働基準監督署に届け出る義務があります。全社に、統一的に適用されるルールは、個別の労働者と結ぶ書類ではなく、就業規則に書かれるのが一般的です。
そこで、「前職の元顧客と取引してよいか」を検討するにあたり、就業規則で、退職後の競業避止義務を負わされていないかを確認する必要があります。
「就業規則と雇用契約書が違う時の優先順位」の解説
退職時に「競業避止義務」を負ったか
退職時に、秘密保持義務や競業避止義務を内容とする書面にサインを求める会社は少なくありません。これらの書面は、「誓約書」「合意書」などと呼ばれます。会社としても、退職後に競業避止義務を負わせ、同業への転職、独立起業などを防ぎたいからです。
競業避止義務を負っていない場合は、原則として自由競争であり、前職の元顧客だったからといって営業や取引ができないわけではありません。書面にサインする義務まではありませんから、書面の作成は拒否してよいでしょう。
「退職後の競業避止義務」の解説
競業避止義務を定める特約が有効か
競業避止義務を定める特約を結んでいたとしても、それが無効となる可能性もあります。前職の元顧客との取引が禁じられるのは、競業避止義務を定める特約が、有効な場合に限られます。
退職後の競業行為を禁止する誓約書などは、すべて有効とは限りません。誓約書はいずれも、会社が用意してきたもので、会社側に有利な内容となっています。不当に会社が有利すぎると、逆に労働者への不利益が大きすぎて、特約そのものが無効だと判断される可能性もあります。
むしろ、憲法という重要な法律に定められた「職業選択の自由」を制限する特約は、限定的に解釈されます。不当な制約になっているとき、裁判例でも無効と判断した例は少なくありません。
「誓約書を守らなかった場合」の解説
元顧客との取引が「不正競争防止法」に違反するか
退職後、前職の元顧客と取引するにあたり、知っておきたい法律が「不正競争防止法」です。
不正競争防止法は、その名のとおり「不正」な「競争」を防止する法律。退職後に元顧客に営業をかけたり、取引を開始したりする際にも、その取引の方法が適切でなければ、不正競争号司法違反となるおそれがあります。
不正競争防止法は、厳しい法律であり、万が一違反すると、前職の会社から損害賠償請求されたり、差止請求を受けたりするおそれがあるだけでなく、刑事罰の制裁が下ることもあります。
不正競争防止法の「営業秘密」とは
不正競争防止法は、会社の「営業秘密」を守ることで、不正な競争から会社を保護します。不正競争防止法で保護される「営業秘密」に該当するには、次の3つの要件を満たす必要があります(不正競争防止法2条6項)。
- 秘密管理性
- 非公知性
- 有用性
元顧客と取引してよいかを検討するにあたり、営業をかけるときに前職の営業秘密にあたる情報を不当に侵害するならば、不正競争防止法違反であり、許されません。
前職の顧客情報が「営業秘密」にあたるか
前職の元顧客と取引するためには、前職の顧客情報を入手し、アプローチして営業する方法があります。しかし、元顧客の情報が、不正競争防止法で保護される「営業秘密」にあたるなら、そんな営業手段は不正競争になってしまうおそれがあります。
このとき、前章の「営業秘密」の3要件のうち、「秘密管理性」の有無が問題になります。つまり、元顧客の情報が、前職の会社において、秘密として厳重に管理されていたかどうか、という点です。
「会社から損害賠償請求された時の対応」の解説
元顧客と取引しようと営業することが違法になるケース
ここまでの解説の通り、元顧客と取引してもよいかは、まずは競業避止義務を定める特約があるかどうか、次に、不正競争防止法の「営業秘密」にあたるかどうか、という順で検討します。そして、これらにあたらないなら、前職の顧客とも取引してよいといえます。労働者には「職業選択の自由」があり、自由競争が保障されているからです。
しかし、憲法で保障された「職業選択の自由」も、完全に自由なものではありません。憲法上の権利・自由も、他人との関係で、ある程度制限されることがあるからです。
顧客を奪う行為が、自由競争の枠を超えた不当なやり方だと、違法になってしまいます。自由競争ではないほど悪質な顧客の奪取については、労働者に不利益を負わせてでも規制すべきだからです。このとき、競業避止義務は負っておらず、不正競争防止法違反ではないとしても、不法行為(民法709条)にあたり、損害賠償請求を受けるおそれがあります。
なにもしなくても前職の顧客から声がかかならあなたの人徳といえますが、無理して営業をかけなければならないケースのなかには、顧客を奪いたいあまり、不適切な手法を選んでしまう例もあります。
自由競争を逸脱するような手段による、前職の顧客との取引は、次の例です。
- 前職について、事実と異なる誹謗中傷をすることで、元顧客との取引を奪取する営業行為
- 前職の会社の社会的な信用を不当におとしめて、元顧客との取引を奪取する営業行為
- 前職の会社との継続的な契約を解約するよう強くはたらきかける行為
- 前職の重要な秘密を用いて、元顧客との取引を奪取する営業行為
- 前職の取引価格を知り、不当に安い値段で提案し、元顧客との取引を奪取する営業行為
「名誉毀損を理由とする解雇」の解説
まとめ
今回は、退職した会社ではじめて知り合った顧客と、転職後や独立後に取引するにあたり、労働者が気をつけなければならないポイントを解説しました。
転職や独立は珍しいことではなくなりました。前職で培った経験や能力を活かし、ライバル企業に転職する、同業種で起業するといった例も少なくないもの。元顧客と信頼関係ができていれば、あえて営業したり働きかけたりせずとも仕事をもらえることもあります。自分の実績にしようと、顧客の奪い合う気持ちは理解できるものの、違法にならないように注意が必要です。
このとき、競業避止義務、不正競争防止法といった法律の知識をよく理解し、違法な顧客奪取となってしまわないよう、誠実な対応を心がけましょう。
- 前職の元顧客と取引することは、退職後であれば違法ではないのが原則
- 競業避止義務の特約違反、不正競争防止法違反となる営業行為は許されない
- 競業避止義務を合意しても、不当な制約は違法であり、元顧客とも取引できる
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