残業代請求は労働者の権利を守る重要な手段ですが、「裁判までするのは大事だ」と感じる方もいるかもしれません。また、実際に裁判を起こすとなるとどのような結果になるのか、「残業代がいくらもらえるのか」といった点が重大な関心事となるでしょう。
争いにはリスクもあり、費用もかかります。もらえる額が少ないと費用対効果が悪く、万が一の失敗を想像して尻込みしてしまう気持ちもわかります。残業代請求の裁判例を知っておけば解決の見通しを予測できるので、過去の裁判例は、法律の知識と同じくらい重要です。
過去の裁判例によって解決の可能性や獲得額、負ける理由を知れば、ケースに応じた争うメリットを把握できます。そして、残業代未払いの事例において重視された証拠、有利に評価された事情を分析することは、成功への近道となります。
今回は、残業代請求の裁判例について、労働問題に強い弁護士が解説します。
残業代未払いの総額は年間65億円以上(※令和3年度)
残業代の未払いは多くの労働者に共通する問題であり、悩むのはあなただけではありません。労働基準法に基づく残業代の支払いは企業の法的義務であるものの、実際は多くの会社において未払いが発生しています。厚生労働省の統計は、令和3年度の残業代の未払い総額が65億円超えており、非常に深刻な事態であることを示しています。
労働基準監督署の報告に関する統計によれば、労働基準監督署の是正勧告によって、年間約65億円もの残業代の未払いが是正され、労働者に支払われていることがわかります(※令和3年度)
ただ、これはあくまで氷山の一角。実際は、泣き寝入りしている労動者や、指導すら受けていないブラック企業も多く隠れているからです。
残業代未払いには複数の原因がありますが、コストカットの目的で不払いを起こす悪質な企業だけでなく、労務管理に不備があったり、労働法の知識が足りず、払う必要がないと誤解していたりする会社もあります。一方で、残業代が得られないと労動者のダメージは甚大です。経済的損失だけでなく、モチベーション低下や労働環境の悪化などから、更に重大な問題にも繋がりかねません。
違法な状況を是正するには、労動者が権利を守るための行動を起こさなければなりません。裁判で残業代を請求し、勝訴した事例は数多くあるので、積極的に声を上げることが重要です。自分だけでは解決が難しいときは、労働基準監督署に相談したり、弁護士に相談して裁判をサポートしてもらったりすることもできます。
「残業代請求に強い弁護士への無料相談」の解説
残業代未払いの事例(労働者が勝訴した裁判例)
まず、残業代未払いの事例のうち、労働者が勝訴した裁判例を紹介します。つまり、残業代請求をして未払い残業代を獲得したケースであり、「成功例」といってよいでしょう。
「成功例」となった裁判例を読むにあたり重要なのは、「いくらの利益を得られたか」、つまりは残業代の獲得額です。高額の残業代請求を認めた裁判例を知ることで、裁判所で重視された証拠や、有利に評価された事情を参考にし、自身のケースに役立てることができます。
- 部長に約1650万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 課長に約1300万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 係長に約108万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 約400万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 約500万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 店長に約750万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 塾講師に約1000万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 保育士に約1400万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 看護師に約1800万円の残業代未払いがあると認めた事例
- ドライバーに約1400万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 契約社員に約640万円の残業代未払いがあると認めた事例
- 固定残業代のほかに約500万円の残業代未払いがあると認めた事例
部長に約1650万円の残業代未払いがあると認めた事例
営業部やお客様サービス部などの部長を兼務する社員の残業代未払いの事例(学生向けマンションの入居者募集を業とする会社)。
本事案では管理監督者性が争点となった。裁判所は、職務権限が非常に限定的であり、経営に関わる決定に参画していたともいえず、労働時間の裁量権を有してたとも認められないと判断して、管理監督者性を否定した。その結果、残業代1152万6411円の未払いと、付加金500万円及びこれらの遅延損害金の支払いを命じた。
「管理職と管理監督者の違い」の解説
★ 管理職・役員の労働問題まとめ
課長に約1300万円の残業代未払いがあると認めた事例
衣料品のデザインを業とする会社の課長職の残業代未払いの事例。
他の平社員やパートと同じく、衣服にデザインをプリントする作業を担当していたが、残業時間の多くが、別の課からの時間内に処理できる限度を超える発注が原因となっていた。
裁判所は、課長職の具体的な職務内容、権限及び責任などに照らし、管理監督者ではないと判断し、646万円3150円の残業代の未払い、遅延損害金のほか、残業代と同額の付加金など、合計約1300万円の支払いを命じた。
「課長の残業代が出ないことの違法性」の解説
係長に約108万円の残業代未払いがあると認めた事例
管理部経理課の係長職にあった社員の残業代未払いの事例。
会社は、係長は管理監督者であると反論したが、裁判所はこれを否定した。担当する職務が日常的な経理事務の処理である点や、勤怠管理があり自由に出退勤できたとは認められない点などがその理由となった。最終的に、108万1638円の残業代の未払いと、これに対する遅延損害金の支払いを命じた。
約400万円の残業代未払いがあると認めた事例
システム開発会社の商品開発部の社員が、2年7ヶ月分の残業代の未払いを争った事例。会社は採用時に、年俸制のため残業手当を支払わないと伝えていた。
裁判所は、年俸制だからといって残業代を未払いにしてよい理由にはならないと判断し、残業代206万4931円と、付加金179万5614円、及びこれらの遅延損害金など、合計約400万円の支払いを命じた。
「年俸制の残業代の計算方法」の解説
約500万円の残業代未払いがあると認めた事例
工業用ゴムの販売会社の生産管理部で働く社員が、残業代未払いを争った事例。連日にわたり、午後10時から翌朝午前4時頃までの深夜残業、休日出勤といった過剰な労働があった。
残業の証拠は乏しいものの、裁判所は、出退勤管理をしない会社の責任を指摘し、272万5050円の超過勤務手当とこれに対する遅延損害金、そして230万4637円の付加金など、合計約500万円の支払いを命じた。
「残業の証拠」の解説
店長に約750万円の残業代未払いがあると認めた事例
マクドナルドの店長が、2年分の残業代の未払いを争った事例であり、飲食店の店長の管理監督者性が争点となった有名なケース。
裁判所は、店長の権限が店舗内の事項に限られており、経営者と一体的な立場とは言い難いことなどを理由に、管理監督者性を否定し、約500万円の残業代、約250万円の付加金のほか、それらの遅延損害金、合計約750万円を支払うよう命じた。
「飲食店の残業代請求」の解説
★ 飲食店の労働問題まとめ
塾講師に約1000万円の残業代未払いがあると認めた事例
学習塾で働く講師による、残業代未払いの事例。会社は「誰もが会社運営に関与する」という方針で、講師ら従業員の大半を取締役に就任させ、残業代を払っていなかった。
裁判所は、勤務時間が厳格に管理されていたこと、取締役の報酬としては低すぎる給料などを理由に、「労働者性を否定する事情は見出し難い」と判断し、残業代548万3465円と遅延損害金、付加金519万9806円など、あわせて約1000万円の支払いを命じた。
保育士に約1400万円の残業代未払いがあると認めた事例
保育士が、長年務めた保育園に対して、残業代の未払い分を請求した事例。勤務時は、常時園児を相手にする業務が続いており、休憩が取れない状況であった(勤務表にも休憩時間の記載がないほどであった)。
裁判所は、園児と一緒に昼食を取らねばならない事情から、休憩をすべて労働時間と計算すると判断し、未払いの残業代779万円5331円と付加金633万7251円のほか、これらの遅延損害金など、合計約1400万円の支払いを命じた。
「保育士の残業代請求」の解説
看護師に約1800万円の残業代未払いがあると認めた事例
介護・看護のサービス業で働く看護師が、残業代の未払いを争った事例。勤務する施設から、夜間に緊急看護を要する場合の対応を任されていた。
裁判所は、この緊急対応の待機時間について、労働から解放が保障されていたとはいえないとし、労働時間であると評価し、990万7484円の残業代の未払いと付加金783万2119円、これらの遅延損害金、合計約1800万円の支払いを命じた。
「看護師の残業代請求」の解説
ドライバーに約1400万円の残業代未払いがあると認めた事例
長距離トラックのドライバーが、残業代の未払いを争った事例。他の従業員からは、パワハラがあったとして慰謝料の請求もあった(一部認容)。
裁判では、タコグラフなどの証拠から残業となる手待ち時間が発生していたとの主張が認められ、残業代902万5361円と付加金494万8855円のほか、これらの遅延損害金、合計約1400万円の支払いが命じられた。
★ 運送業の労働問題まとめ
契約社員に約640万円の残業代未払いがあると認めた事例
官公庁の土木設計を行う会社で、建設コンサルタントとして勤務する社員が残業代未払いを争った事例。
会社は「残業が個々の従業員の裁量で行われている」と反論したが、裁判所はこれを認めず、使用者側がルール違反を黙認していたことをもって、黙示の残業命令をしていたと判断。
未払いの残業代318万2112円と同額の付加金の支払いのほか、これらの遅延損害金等、合計約640万円の支払いを命じた。
固定残業代のほかに約500万円の残業代未払いがあると認めた事例
洋菓子店で勤務するパティシエが、残業代の未払いを争った事例。クリスマスなどの催事の際は、事前に大量の発注が届くが、商品が日持ちしないために時間外労働が多くなるという特殊性が注目された。
裁判所は、固定残業代の支払いを認めたものの、それでもなお残業代の未払いがあると指摘し、残業代286万6545円と遅延損害金に加え、付加金227万7189円、合計約500万円の支払いを認めた。
「残業代の計算方法」の解説
残業代未払いの事例(労働者が敗訴した裁判例)
次に、残業代未払いの事例のうち、残念ながら労働者が敗訴した裁判例を紹介します。残業代請求の裁判は多くあるものの、労動者が敗訴したケースも存在します。「失敗例」を知ることによって背景や原因を分析し、自分が同じ結果にならないよう参考にすることができます。
労働者は自分の権利を守るには、日常的に記録をつけるなどして証拠を集め、裁判を起こす前には必ず専門家である弁護士の助言を求めるのが重要です。
なお、残業代請求で負けるケースと対策は、次の解説でもまとめています。
「残業代請求で負けるケース」の解説
定額残業手当として支払い済みと判断した事例
運送会社のドライバーが1年8ヶ月分の残業代未払いを請求した事例。会社は定額の残業手当として、既に支払い済みであると主張した。
裁判所は、定額の残業手当を定める就業規則が誰でも閲覧できる場所に置いてあったことなどから、周知がされていたと判断し、実際の残業時間から算出された残業代を上回る額を手当として支給していたと認定し、未払い分はないと判断した。
「みなし残業」「固定残業代の計算方法」の解説
残業の必要性がないと判断した事例
化粧品メーカーで勤務していた元社員が残業代を請求した事例。明示的な出勤命令はなかったものの、早出残業分が未払いだと主張していた。
しかし、裁判所は、始業時刻より早く職場に来る必要性を認めず、社員の請求を否定した。なお、タイムカード打刻後に常時やるべき仕事を立証できなかった点が考慮された。
残業代をもらうには、残業と主張する時間が「労働時間」に該当する必要があります。裁判例における労働時間とは、客観的にみて会社の指揮命令下にある時間のことを指します。労働から解放されている場合は、社内にいたとしても残業にはなりません。
会社が明確に残業を禁止している場合や、許可制となっている場合に、自主的に残業した時間が労働時間にあたるかどうかは、黙示に命令されていたかどうか、という難しい判断を伴います。
「労働時間の定義」「サービス残業の黙認の違法性」の解説
残業時間の証明が十分でないと判断した事例
モーター等を製造販売する会社で働いていた元社員からの残業代請求の事例。裁判では、ICカードの使用履歴をもとに残業時間を立証しようとした。
しかし裁判所は、当該履歴は会社構内の滞留時間を示すものに過ぎず、滞留時間中に残業があったかどうかを検討すべきと判断し、日報の作成、電話対応、PCへの入力作業などを残業とする労働者の主張を、証拠不十分であるとして認めなかった。
未払いの残業代を払ってもらうには、実際の残業時間を証拠によって裏付ける必要があります。そのため、証拠が十分でないのを理由に、請求した残業代が認められない事例は多くあります。
タイムカードは証拠として特に重宝されますが、手元になくてもすぐあきらめる必要はありません。日報やパソコンのログなど、証拠となりうる資料は他にもあります。退職後に資料を集めるのは困難なので、在職中にできるだけ証拠を入手しておくのがポイントです。
「裁判で勝つ方法」の解説
管理監督者に該当すると判断した事例
タクシー会社の営業部次長について、管理監督者性を認め、残業代請求を認めなかった事例。
営業部次長は、多数の乗務員を直接指導・監督し、採用面接に携わる役割があったほか、取締役らの出席する会議のメンバーでもあった。また、出退勤時間について、唯一の上司である専務からも指示されておらず、制限がなかった。賃金の待遇は700万円余の報酬であり、従業員の中では最高額だった。
自動車修理会社の営業部長について、管理監督者性を認め、残業代請求を認めなかった事例。
営業部長は主に管理業務を担当し、経営会議やリーダー会議にメンバーとして出席した。最終的な人事権はなかったが、営業部では部門長の意向が反映されていた。また、タイムカードは打刻していたが、遅刻や早退などを理由に基本給が減額されることはなく、代表者と工場長の2名に次ぐ高給であった。
労働者でも例外的に残業代が支払われない人の代表例が、管理監督者です。
ただし、会社が管理職扱いしていたり、一定の役職名をつけられていたりしても、労働基準法41条2号に定める「管理監督者」に該当しない場合は残業代を請求できます。この判断は、役職の名称によらず、実態に即して判断されるので、ハードルはかなり高いものです。特に、中小企業の管理職の多くは、実際には残業代をもらえると考えられるので、あきらめてはいけません。
「名ばかり管理職」の解説
残業代の時効が完成したと判断した事例
配管工2名が残業代の未払い分を請求した事例。
会社が消滅時効が援用した結果、当初請求していた残業代が時効により一部消滅し、原告1名について400万円7556円の請求が213万8614円に、もう1名について319万7565円の請求が118万9652円という一部のみが認められる結果となった。
残業代の時効は支払い日から3年(2020年3月31日以前は2年)であるため、その期間を経過した後は、時効によって請求権が消滅します。
「残業代請求の時効」の解説
残業代請求の裁判例から見る成功と失敗のポイント
最後に、ここまで解説した残業代請求の裁判例によって分かる、成功と失敗とを分けるポイントを解説します。
成功するための証拠収集をする
まず、残業代請求に成功した裁判例では十分な証拠が準備されている一方で、失敗例は証拠が不足し、労動者の主張した事実が裁判所に認定されていない傾向にあります。そのため、未払い残業代を裁判で獲得したいなら、事前の証拠収集は必須です。
労働時間の証拠のうち最重要なのがタイムカードです。日々の出退勤がタイムカードに正確に記録されていれば、これにより実労働時間を把握できます。その他に、業務日報やメールやチャット、パソコンのログなども証拠として活用できます。
証拠は失くさないよう保存し、破損しないようご注意ください。データの証拠は忘れずバックアップを取りましょう。そして、全ての記録が一貫していることも重要です。矛盾のない証拠を揃えることによって、裁判所に信用してもらいやすくなるからです。
「タイムカードを開示請求する方法」の解説
適切な弁護士によるサポートを受ける
残業代請求の裁判例の多くは、弁護士が代理して訴訟追行しています。労働問題に精通した弁護士を選ぶことで、法律と裁判例の知識に基づく戦略的な弁護活動をしてもらえます。
弁護士選びでは、過去の実績や成功事例を参考にしてください。実績豊富な弁護士ほど信頼性が高く、経験に基づく的確なアドバイスがもらえます。ただ、丸投げは禁物であり、定期的にコミュニケーションをとって進捗の報告を聞き、必要に応じて追加の証拠を提出したり希望を伝えたりすることが納得いく解決に進むためのポイントです。
「労働問題に強い弁護士の選び方」の解説
まとめ
今回は、残業代未払いの事例を中心に紹介しました。
労働の正当な対価を受け取るには、残業代請求が非常に重要です。1日の残業がさほど長くなくても、積み重なれば多額になります。未払い残業代の額がいくらになりそうか、本解説の裁判例を通じて理解し、請求が認められそうならば徹底的に争うのが正解です。
残業代請求の裁判例を知れば、成功事例から学べるポイント、失敗事例から避けるべき落とし穴を理解できます。法律知識だけでは実際のケースにおける見通しを予測できません。事例をもとにして有利な証拠や事情を検討することが、請求前の必須の準備だといえます。
残業代に関する裁判の事例は膨大にあるので、労動者が全てを理解するのは困難です。信頼できる弁護士に専門的なアドバイスをもらうことが、成功に向けた一助となります。
【残業代とは】
【労働時間とは】
【残業の証拠】
【残業代の相談窓口】
【残業代請求の方法】